日々の生活のなかで起こったことや感じたこと、考えたことなど、思いつくままに書いた「雑感」集です。このページは随時更新します。



千葉県にまつわるいいお話の紹介

千葉県にまつわるいいお話がありましたので、ご紹介します。同じ会派の加賀谷氏から、教えていただきました。自然観察会などを主催されている「谷 英男」さんが書かれたものです。

トキには思い出しましょう〜房総にトキが観られた頃を


今では絶滅してしまった日本産のトキですが今年(2004)はうれしいことがあリました。佐渡市のトキ保護センターで中国産のトキのつがいが人工孵化でなく自分たちで子育てをしていることです。

@トキの生息地は

ロシア沿海州・中国・朝鮮半島・台湾そして日本の東アジアー帯で観られたそうです地域により留鳥・渡り鳥・漂鳥(昭和期のトキは日本海側から房総へ)となりますこの鳥を中国では『幸せをくれる鳥』と言い、朝鮮では「昇る朝」と見立てられていたとのこと
日本では元々北陸・中部・関東地方が主な生息地でしたが江戸時代に広く放鳥されました
しかし目本に於いても絶減の道をたどり自然状態はもとより保護されていたトキも観られなくなりました。ではなぜ絶減したのでしょうか?以下の様な事が考えられます
☆目本を代表する鳥”神鳥Iとして珍重されていた。
(伊勢神宮の遷宮事で天皇が天照大神に奉げる「御刀」の柄に尾羽を用いた)
☆田畑を荒らす害島として嫌われていた〜北陸地方の鳥追い歌(サギ・スズメと共に)
☆明治以降の銃による乱獲(江戸時代では殺生は戒められていた)
矢羽・羽箒・羽布団・釣りの毛ばり・学術標本・輸出(婦人の帽子のかざりなど)・食肉
☆民間薬(産後の乳の出が良くなる・血の道・冷え症・痔・ヒステリー症)
☆谷津田と雑木林のある里山の自然環境の変化と滅少〜農薬の使用と開発〜エサと繁殖地の減少

A房総とトキのかかわり

☆鴇はいつまで房総で観ることができたのか
・五井/金杉

  昭和23,28目年にトキの飛来の記録がある太平津側の最後の記録がある。 (その様子を地元の画象『時田直善』氏が描いています)
・手賀沼/下総
 昭和27年迄に3件の観察記録があります。
☆鴇の名の付く地名
 干葉に多く新潟・福井には無い、石川に1箇所
 東金の鴇嶺・鴇ケ根=「トキ」の棲患していた土地
 佐原の鴇崎=『牛堀町の昔ばなし』に殿様から「鴇田姓」もらう逸話があります。日本地名大辞典に拠れば鴇崎の地名は全国でここのみです
 長柄の鴇谷の新谷=横穴古墳の入り口に「トキ」の絵が彫られてます。
長柄誌には「全国的に見ても唯一の例」と書かれています
☆鴇の名の付く名字(鴇田・鴇崎・鴇矢・鴇谷.鴇
「NTT個人名編」で調査した結果多い順に鴇田(367)鴇崎(38ほとんど佐原市)鴇矢(14市原・手葉市)鴇谷は千薬県の約45%の市町村に存在し看津市・木更違市・干薬布に多く地名のある佐原市・東金市は2桁の単位でありますが長柄にはなく、佐渡市・新潟市にはまったく有りませんでした

B佐渡トキ保護センター

中国産トキの増殖が順調に進んで12年後に野生復帰を目指しています2004年の繁殖でヒナ13羽が加わり計52羽となりました
兵庫県豊岡市のコウノトリの野生復帰はあと数年で鴇より先に達成できるでしょう

最後にトキが教えてくれた事

失ったものを取り戻す事の大変な難しさ⇒特に自然の再生、コウノトリやトキはその一つの例と云えます



中越地震

 新潟に行って来ました。
 
11月20日 〜 22日の短い期間でしたが、積雪に向けた新しい大型テントの床張り、基礎ブロックの買い出し等のボランテアと民主党の佐藤県議のご案内で中越地震被災地の実状を見させていただきました。

大分落ち着いたとはいえ、被災中心部の小千谷・山口町は想像を超えていました。
別掲しました山口町の上水道取水ポンプ場は、舗装道路ごと10メートル以上も崩れ、手の付けられない状態でした。都市部の震災とは違った地盤・構造ごとの破壊の様子を目の当たりにしてきました。

今後の千葉県の防災への一助となるよう努力をいたします。
この震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。


川口町の町営上水道の取水ポンプ場



三番瀬沖の巻き網漁

 秋の朝早く、船橋の漁港から船で三番瀬沖の巻き網漁を見ることが出来ました。

午前5時。まだ暗い船橋漁港の埠頭から、船橋の漁師の大野さんの御好意で運搬船に乗せてもらい、もう冷たくなった潮風と潮の香りを顔一杯に受け、三番瀬の沖といっても浦安のマンション群の護岸や、三番瀬の端から海側へ1キロメートルも離れていない海域での巻き網漁でした。2艘の巻き網船が半径200メートルで網をおろし、巻き上げながら網を縮め始めると、「鳥山が立つ」では表現がオーバーですが、海鳥が多く集まり海面にて出て来た小魚を捕って行く様は、NHKのドキメンタリーを見ているようでした。
「ぼら」・「こはだ」の大きくなった「このしろ」・「ふっこ」等々多くの魚がかかり、東京湾の豊かさが実感されました。

ふと見上げた曇り空のあちらこちらが、うっすらと明るくなり、ちょうど東方に幕張新都心が、墨絵のように浮かび上がっていました。
見学を終え、港にかえって船から埠頭に下りる際に、暗い内には見えなかった海水が、かなり深い底がうっすら見える程、澄んでいました。

東京湾もきれいになり始めています。多くの努力が必要です。



硝酸性・亜硝酸性窒素の汚染との出会い

先だって、後援会の大会がありました。
その折り、水全体の問題を扱うようになるきっかけとなった硝酸性・亜硝酸性窒素の地下水汚染について少し話させていただきました。

ちょうど目の前の前列に座っていた桜木町のAさんのご主人から「地下水を検査したら汚れていると言われた。大腸菌でも細菌でもないらしい、どうしたらいいか」と相談されこと。
詳しく聞いてみますと、硝酸性・亜硝酸窒素による汚染であったことと、この聞き慣れない地下水汚染との出会いと経緯を来場の皆さんにお話ししました。

大会終了後にAさんに「名前を出してしまってすみませんでした。」と言いましたら、「ほんとのことだから」と言ってくれました。相談されてからもう9年も経っていたことをあらためて思いました。

その後、勉強をさせていただき、1994年の市議会の6月定例会で、硝酸性・亜硝酸性窒素の地下水汚染について初めて質問を致しました。
それから、市議会で4回、県議会で4回と毎年のように汚染実態の解明と調査、対応の必要性を主張してまいりました。その間、千葉市でこの汚染に対応する浄水器購入に補助金がついたり、県では昨年初めて予算化された調査費が、緊縮財政の中でも15年度も継続されるなど、少しずつですが、前進をしています。

しかしながら、環境の問題は一つ一つの実状の認識を積み上げ、その上で今何をしなくてはならないのかを市・県・国そして私たち市民が真摯に受け止めるまで多くの時間がかかります。
また、主張し続けなければすぐに忘れられてしまうことなど、たくさんのことを学ばしてもらいました。
まだまだ、これからも多くの努力が必要です。
 


千葉県水道と千葉市水道

水道は市民・県民のライフラインそのものであることは言うまでもありません。
水道の布設問題は、水道が供給されている地域では、何を当たり前のここと一笑されますが、井戸水だけが飲料水の地域では、飲料水の安全確保として重大な問題です。

すでにこのホームページでも報告してきましたが、千葉県の県水道供給は、12市1村の272万人に給水しています。言い換えれば、県人口が600万人ですからおおよそ半分の県民が県水道ではないということでもあります。
12市1村の中にも、千葉市や市原市のように市域に県営水道・市営水道が存在し、市民から見ますと判りずらい役割分担になっています。これは、県営水道が給水区域を拡大せず、県給水区域以外は、市が水道の普及をするものとしていることからです。

千葉市若葉区には、かっての急速な人口の増加・市街化が進む中、県水道給水区域に隣接していても区域外では人口密集地でも県水道の供給がされませんから、市水道の普及を待っています。しかし水源確保や遠距離であるため、簡易水道で20数年も対応しており、これからの予定も20年以上かかるとも言われている街があります。
 
市民・県民から見れば、ライフラインの整備が県であろうが、市であろうが行政の縄張りで、実現が出来ない事実は、理解しがたく「県・市の協力」という言葉が実効性のあるものでなくてはなりません。「給水区域」に対する柔軟な対応や市の負担の在り方など県市の水道事業の相互協力が根本的に変わらなくてはいけません。
水道は「事業」のためではなく、県・市民のライフラインです。
 


雨水(天水)について

 先日、あるお宅へ訪問させていただいた折り、雨水を樋から玄関の脇の大きなカメで貯め、備え付けの柄杓で散水に使っている風景を見ました。

かって雨水を天水と称してかけがいのない生活水として使っていた時代がありました。今でも離島等では、その役割の多くを担っているところがあると聞きます。

しかしながら、私たちの周りでは雨水は、U字溝や排水溝から下水道を経て直行で海に流されています。水の大切さもさることながら、都市基盤の整備に伴い地下浸透の表面積の減少は、ヒートアイランド現象等の原因となったり、また水循環から観ても地下水系に大きな変化を来しています。

 今年、若葉区の市街地区での局地的な集中豪雨は雨水の排水予定能力を超え、浸水や小規模洪水を引き起こしました。原因のおおかたは予測を超えた雨量ですが、雨水を少しでもその場で地下へ返すことも街づくりの時点から考えてゆく必要があると思います。
例えば、建築確認の審査過程で浸透ますの設置奨励や義務化、また浸透素材による地下浸透の研究、さらに葛飾区で行われている「雨水貯水槽設置補助」のように行政としていろいろな角度からの研究や検討が必要です。
また大規模な有効利用では、東京都の博物館等のような公共施設で地下貯留を行って再利用しているところもあります。

 まず個人として、市民として雨水を天水として考えて何が出来るか考えてみたいと思います。
 


工業用水道について

千葉県の水事業に、上水道事業・農業用水事業・工業用水道事業と大きく三つの水供給の事業があります。
 上水道については「研究課題」や一般質問で取り上げてきましたので、今回は工業用水道について考えてみたいと思います。

 所管をする千葉県企業庁によれば、「工業用水は産業活動において、冷却、洗浄、温度調節などに利用されており、『産業の血液』としての重要な役割を担っているほか、上水道に比べて料金が安いため、ビル用水、修景用水などの雑用水としての利用にも適しています。」としています。

 かって、千葉県でも地下水の過剰な汲み上げによる地盤沈下がありましたので、現在では一部を除き、水源を河川等の表流水を利用し、地盤沈下の防止に努めています。

 千葉県における工業用水道事業は、昭和39年に五井市原地区で給水を開始して以来、現在では市川市から富津市に至る臨海部と、内陸部の松戸市、佐倉市、成田市、茂原市、芝山町、横芝町の13市2町にわたる8地区の工業用水道を経営しています。
 その供給量は1日に117万立方メートルといわれ、県上水道が1日におおよそ90万立方メートルですから、その規模が想像できます。
 料金単価も工業用水道ではいろいろと条件が異なったり、経営負担金等を含む場合があって一概には言えませんが、おおよそ1立方メートル17.5円〜92円です。上水道の供給単価は1立方メートルあたり214.65円ですから大きな違いがあります。

 この事業も景気の低迷からくる京葉工業地帯の需要の低下や、施設の改修等厳しい経営状況にあります。
私たちの生命に係わる飲料水ではありませんが、「産業の血液」、産業の生命としてなくてはならない水です。
同じ水の働きの一つとしてこれからも、農業用水とともに在り方や将来の利用方法も含めて、研究をして行きたいと思っています。
 


「都川」

 県議会の控え室から都川が見えます。
 日々その流れや表情は違いますが、かなり大きな鯉や小魚の群が、光の具合で6階の窓からもよく見ることが出来ます。流れは透きとおってはいませんが、一昔前のような臭いも無く少しずつきれいになってきているようです。

 「都川」は、県の資料によれば、葭川、支川都川、坂月川の支川を持ち千葉市若葉区高根町地先より海に至る13,051bの二級河川です。
 今の千葉市はこの川の三角州の上に栄えてきた街です。

 都川は大治元年 (1126)の昔、千葉常重が築城した千葉城の北側の天然の水堀の役割を果たし、慶長5年(1600)、干ばつから農民を救うため布施丹後守常長が、都川支流から水路を造り大いに役立ちました。その堰が「丹後堰」と呼ばれ、今は公園として上流部に名残を残しています。
 中流部には、産業遺跡にもなっている昭和12年に建てられた、外観5階正十二角形の「旧千葉県都川給水塔」を観ることが出来ます。
 河口付近には、冶承4年、安房から北上してくる源頼朝を千葉常胤が出迎えた橋「君待ち橋」があります。現在の橋は新しく移し換えたものですが、太古の昔よりずっうと千葉の歴史に係わってきた川です。
県庁より川上にある「大和橋」付近で昔、白魚が捕れたとの文献もあります。

 きれいな川にしなくては。



海洋深層水

 ある会合の終わった後で、「千葉県も鴨川で海洋深層水を採っているんですってね」と訪ねられました。
「はい、試験的ですが採るようです。」と答えた後、深層水の話になり、県議会でも期待を含めた論議があること、また私も7月の始めに取水量が日本最大規模である沖縄県久米島の沖縄県海洋深層水研究所に勉強に行ったことを話しました。

 ご存じのように海洋深層水は、太陽の光の届かない、水深200b以深の海水の総称です。また2000年以上の時をかけて、地球規模で循環しており、窒素などの栄養塩類が豊富に含まれ、細菌が非常に少ない清浄な海水です。このことから深層水と表層水を利用した水温管理を行い深層水の清浄性・富栄養性を利用して車エビのような陸上養殖等に期待がされ、また自然塩・食品添加物等の商品開発やアトピー等の医療分野・海洋療法(タラソテラピー)などに大きな可能性があると言われております。

 沖縄県海洋深層水研究所では、水深612bから1日13,000トンを取水し、前途と同様の研究をはじめ、深層水温9度と陸上温度29度の温度差20度を利用した、沖縄ならではの冷温農業の研究、例えば、植物の根だけ冷やして高温障害を取り除き、ほうれん草・サラダ菜等の安定生産の技術研究もされていました。

 「海洋深層水」このネーミングは、海水であることとその海水の水深・位置を示した単純な表現です。しかしながら、神秘な水と映る向きもあり、深層水を脱塩したミネラルウオーターでさえ、「ミラクルウオーター」と期待している声も聞きます。ミネラルのバランスの良さには評価がありますが、いわゆる「硬水」ですから、私たちが慣れ親しんだ水とは違い飲み易いものではありません。真摯な研究が待たれます。

 このように深層水に対する大きな期待はあるものの、久米島でも見られましたが、「海洋深層水入りラーメン」「このプールには海洋深層水が入っています。」といった過度の期待や、安易な商品化が、海洋深層水の本来の有効性の解明や研究の障害にならなければよいと思っています。

 地球上の7割は水です。この賜に感謝します。

海洋深層水に関する漁業資源課の資料は>>こちら



久しぶりに満天の星を見ました。

 晴天が続いた8月の終わりに、研修で九十九里に行って来ました。
懇親会での少々の酒と疲れのせいで、寝入りは良かったものの3時過ぎには眼をさましてしまいました。
ちょうど窓際に寝ていたおかげで、ふと窓越しに満天の星を見ることが出来ました。
窓の外には九十九里海岸を走る「波乗り道路」と道路灯の淡い光があり、最盛期を過ぎたせいかオートバイも車も走ってはおらず、漆黒の海と満天の星がありました。この前にこんな星々を見たのはいつだったか、思い出せないほど忘れていた星の輝きでした。あまり夜空を見上げなくなった自分と、見上げても満天とは言い難くなった星空に、何か忘れ物をしてきたような思いになりました。星々が窓枠をゆっくり横切るように感じるほど長い時間布団の中で眺めていました。
 そして、「暁」、「曙」、「黎明」と表現される想いの夜明けを迎えたとたん、またうとうととしてしまいました。
 これから時々夜空を見上げてみたいと思っています。
 


ナイト・ウオーク・ラリーに参加して

 8月16日の晩から17日の早朝まで行われたナイト・ウオーク・ラリーに参加しました。
貝塚中の協力会主催で 、生徒・保護者・教師・地域・支援者含め70名を越える参加者でした。
 都賀駅に集合し、最終の銚子行きに乗車、終点の銚子駅に降り立ちました。昼間の暑さが嘘のような肌寒い霧がたちこめた中、スタッフからの諸注意を聞き、班に分かれてひと気の無い銚子駅前の商店街を抜け、犬吠埼の灯台を目指しました。10キロメートル弱の道のりをおおよそ3時間かけ無理なく歩きました。
スタッフの皆さんの水をも漏らさぬ準備と手配、生徒たちの生き生きとした表情、幻想的な霧の街・港、眼には見えない波濤の響き、懐中電灯の真直ぐな光、そして霧笛、参加者にいろいろな思いを起こさせ、思い出を残したナイト・ウオークでした。
 学校教育をめぐり「学校・家庭・地域が一体となって」との言葉だけが先行しがちな風潮の中、主役の生徒たち、保護者、そして校長・教頭先生の深い理解と協力、協力会の方々の警察とも連携をした万全な執行、さらに一般参加をされた地域の方々とが無理なく育んだ成果であり、そして一つの形を示したものであったと思います。
 貴重な体験に感謝します。



昭和62年の六価クロム地下水汚染

市議時代の資料を整理していましたら、生実地区の六価クロム地下水汚染の資料が出てきました。昭和62年のことです。私が市議になり立ての年です。まだ何も判らず右往左往していた頃です。
現地に行き,話を聞きますと「うちの井戸水はおいしくて、人に自慢をしていた。それが汚染されているなんて」と、今でも失望と不安の言葉が思い出されます。
生実・南生実地区は、水田や畑も多く近年市街化が進んできた地区です。良質な井戸水故かもしれませんが、上水道の未普及地域であり、水田地帯から丘へと家並みが広がった町です。そして丘の高位にあった工業会社が垂れ流した六価クロムが地下水を汚染した事件です。
 その後を知りたくて、早々に千葉市の水質保全課に電話をしてみましたら、上水道はすべて早期のうちに敷設が終了したが、いまだに5本の井戸から地下水を汲み上げ、浄化し戻す作業が続いているとのこと。原因者については、裁判と和解によって責任が明確になったことがわかりましたが、一度汚した地下水が元に戻るには気が遠くなるような時間がかかります。またこの汚染は、当初より原因者・汚染源がはっきりしたものですが、他の多くの地下水汚染は汚染源の特定や、原因者を明確にすることが困難なものが多いと言えます。
 少ない資料ですが、当時の市の水質保全課から渡されたものです。「資料室」に掲載しております。>>こちら



印旛沼雑感

7月31日に佐倉市市民音楽ホールで行われた、「よみがえれ印旛沼県民大会」に参加をさせていただきました。
ご存じのように印旛沼は、千葉市を始め16市町村の水道水源として利用されております。しかしながら、大会宣言にも示されているように、近年の著しい都市化による生活雑排水等の影響による水質汚濁進み、COD値が環境基準を大幅に上回り、水道水源である湖沼としては、全国ワースト1となっているのが現状です。
 会場でお会いしたNPOいんばの理事長の太田勲さんと立ち話でしたが、水質汚染のさきざまのお話の中で、印旛沼の水を飲用水に浄化するのに、通常の水源水のおおよそ2倍の費用がかかる程汚れているとの指摘は、印旛沼を水道水源としている千葉市及び若葉区の住民として、今更のように印旛沼の水質汚染が私たちの生活に密接に関わっていることを思い知らされました。
 また小中学生による意見発表も率直な思いとして受け止めさせていただきました。
水の問題は、大きな問題です。